| L&S2後日談(私家版)『永山時雄の溜息』 |
| 「ようやく目処がつきそうだな」
停戦から一年。戦争体制に偏重していた日本国の経済も、平時のそれに戻るきっかけを掴みつつあるとのレポートに、経団連国防委員長という戦中の色合いを濃く残した肩書きを持つ永山時雄は、一人安堵の声を漏らす。 もちろん停戦ラインを挟んで東に大日本帝国を睨んでいるため、国防費の割合は高かったが、それでも戦時に比べれば天と地の差だ。一部の嗜好品などには未だ配給制が取られているものの、これも徐々に撤廃されていく事だろう。 日本の経済界にとって幸いだったのは、戦後に政権をとったのが岸信介率いる民主党だったというのが後世における一般的な評価だ。ただし、それは民主党が戦後経済にとって何か明確なビジョンを持って政策を実行したからではない。むしろ、自身は何もしなかったからこそだ。 岸自身は国家による緩やかな統制の元、日本の経済力を高めて外交、国防において一定の自主性を持たせようとしていた。しかし内部での調整がうまく進まず、明確な政策を打ち出せないでいた。 永山はそこを突き、政府ではなく、経団連がある程度の方針を決め、それを政府や官公庁に要望していく事で主導権を握っていった。もちろん、その為にかなりの実弾が与野党、各省庁に対してばら撒かれた。 これは、その後政界に汚職が蔓延った原因とも言われ、大日本帝国などは一時、「この腐敗した体制こそが、西日本の実像だ」などと口撃の材料にしていた。これに対して永山は、「だが、芳醇な香りがするだろ。自由経済とはそういうものだ」と周囲の人間に語っていたとも言われている。 永山の周りは戦中と何も変わらない。問題は山ほどあり、暇はない。だが戦中のそれとは違い、永山はそれが決して不快ではなかった。かつては商品となるべき資源が兵器としてばら撒かれ、優秀な労働者となるべき若者が散っていった。だが、今は違う。資源は効率的に商品となって市場に出回り、若者達は毎日職場に向かい働き、日本経済の活力を生み出している。戦争という行為自体を非効率と嫌悪する永山の考えはやや極端ではあったが、西日本においては決して珍しいものではなかった。 そのような西の状況は、ある噺家の番組にも現れている。 「さて次のお題は「東と西を比べてみれば」、でございます。皆さんがまず私に質問してください。私が「東と西で違いがあるんですか?」と聞くので、そこで一つお願いします」 「はいッ」 「はやいねぇ。では楽さん」 「なあ、お前。東と西で一番重い罪が違うのを知ってるか」 「えぇ!? 違いがあるんですか?」 「ああそうともよ。東では不敬罪だが、西では不経済」 「うまいねぇ、楽さん。さて次は……はい、歌さん」 とりあえずは充実した日々を送っている永山だったが、何か物足りないものがある。それは、うるさ方で知られた白洲次郎の不在だ。彼は停戦が決まると同時に地位も資産も捨て、九州の田舎に隠棲してしまった。「支持政党は?」と聞かれて「白洲党」と真顔で答えるような永山にとって、それは非難すべき逃避ではなく、白洲の心中を思えば当然の行動だと納得していた。 「だが、寂しいな」 永山はぽつりと呟く。白洲が居た頃は、それこそ目の前の扉が突然開く事などいつもの事だった。何か腹に据えかねる事――それは政府の事、財界の事、街角の出来事、家庭の揉め事など大小様々だった――があると、白洲はここにやって来ては、決して流暢ではない日本語で延々と文句を並べていた。永山はそれが妙にスジが通っているのがおかしくて、いつも苦笑いを浮かべて聞いていたものだ。 「永山ッ」 彼の回想を、突然の大声と勢い良く開け放たれた扉の音が吹き飛ばす。 目の前には、先ほどまで永山の回想の中にいた男が立っていた。 「し、白洲さん。連絡もなしに一体突然どうしたんです」 驚く永山に白洲が詰め寄る。 「永山。紙だ、紙をくれ」 「紙ですか? そこのテーブルにありますよ」 意図を測りかねる永山に、白洲は手を振って否定する。 「違う。本に使うような紙だ。ああ、輪転機の輸入許可もいるな。それに鉛筆に消しゴム……インクにペンもだ」 永山はようやく合点がいった。確かに今の西日本では、白洲の言う製品はまだ潤沢に出回っているわけではない。新聞社ですら、ようやく紙の配給割り当てが解除されたばかりなのだ。 「一体、何を始めるんです。本でも出すんですか?」 「馬鹿野郎ッ。漫画だよ、漫画。漫画雑誌を出版するんだよ」 「漫画、ですか」 永山は、貸し本屋で子供達が競うように奪い合っていた本を思い出す。 「いいか、頼んだぞ! ブツはここに届けてくれ」 白洲は名刺を永山のテーブルに置くと、風のように部屋から出て行ってしまった。部屋には呆気に取られたままの永山と、「副文化振興会 顧問 白洲次郎」と書かれた名刺がぽつんと残された。 だが、何か分からないが、永山の胸に懐かしい感覚が蘇って来た。そう、魔法以上のユカイな事が始まるような感覚…… 永山は直ぐに電話を取ると、白洲の求める物を集める手配を始めたのだった。 |